第3回 民主・仙谷塾 2006年7月23日(日)/於:鳴門グランドホテル

テーマ…これからの地方議員とは/講師…小川淳也氏(衆議院議員)


司会(乙井):司会を務めさせていただきます東京事務所で秘書をしています乙井と申します。宜しくお願いします。それでは早速、小川淳也さんの方から30分間のお話を頂きます。

 

小川淳也:おはようございます。今日はこういう機会を頂きまして本当にありがとうございます。今日は基本的に討議を通じて、議論を深めていく事を前提に、最初に議論のネタになる話題があります。

 ざっと日本の地方自治制度を紹介した上で、私元々自治省におりましたので、その関係で1年イギリスにいました。イギリスの自治制度、政治制度の中では政権交代を目指す野党第1党として参考になるような事が大きいと思います。

 

日本の自治制度

 日本の自治制度についてご紹介していきたいと思いますが、まず自治体の規模からご紹介します。今、日本でいくつ自治体があるかご存知でしょうか。現在は1800あります。

 元々明治時代に、市町村制度ができたときには7万ありました。これまで日本は2度の大合併を経験してきたのですが、明治30年代に行われた明治の大合併で、7万あった市町村が1万に減りました。昭和に入って昭和30年代に2度目の大合併が起こりました。1万あった自治体が3000に減ったといわれています。平成10年代後半の平成の大合併でこの春で、1800まで減りました。

 最初にできた頃の自治体は徒歩圏内でした。これが1万に減ったときには、現在の3倍、サイズ的には3分の1ですから自転車圏内でした。これが自動車やバイク圏内に広がっているとイメージで把握をしていただいたらいいのではないかと思います。

 もう一つお金の面から自治体を紹介します。よく小学校で日本の自治制度は「3割自治」という言葉を耳にしたと思います。この3割自治という言葉の示す意味は、自治体が行っている事業のうち3割しか自前で賄えていないという事です。

 自前とは地方税の事です。例えば、住民税や地方消費税や事業税といった税目があります。殆ど所得税や法人税や消費税といった大税目はこの国では国税です。そこから一部、掠め取るように3割、自治体が頂いている状況があります。これが伝統的にいわれている3割自治の本質的な部分です。

 ここから問題が見えてくるのですが、一体、日本は分権型国家にならなければいけないのですが、例えばイギリスとの比較でいいますと、日本の国家における税収は現在50兆あるのですが、これに小泉さんは「国債発行額30兆円枠に抑えた」と言っていますが、尚30兆円の借金をしないとやっていけないというのが現在の国家財政です。

 50兆円しか税収がないのに30兆の借金をして、80兆円も使っているというのが現在の姿です。しかし問題は、80兆円の国家財政のうち、今はやや絞られていると思いますが、まず15兆円が補助金の形で地方へ移転しています。以前は3000の自治体があったのですが、現在では1800自治体です。国家財政の80兆のうち、15兆円が地方への補助金で移転しています。もう15兆円が地方交付税交付金という形で移転しています。

 つい先日も来年の一般歳出が46兆円というシーリング(:翌年度の予算編成に関して財務省が設定する予算要求の上限)が決まったそうですが、国家財政は50兆円の税収があって、30兆円の借金をして80兆の国家財政で、その中の15兆、15兆が補助金や地方交付税交付金で地方に渡している。自分では50兆使っている。これが国家財政の基本的な骨格の姿です。

 では一方で地方はどうなっているのか。地方税収というのは国家収入の6割から7割くらい、現在では35兆円の税収があります。三位一体改革でややウエイトは変わっているのですが、補助金で15兆円、交付税で15兆円来ますので60〜70兆くらい、これに借金を併せますと今、地方財政計画は90兆くらいになっていると思います。

 この移転財源で30兆、借金で20兆、80〜90兆の地方財政計画。そうしますと国は50兆の財源をもとに自分では50兆円使っています。地方は35兆しか自前の財源がないのに90兆近くのお金を使っています。これが日本の自治制度の基本的な特質です。

 お金を使う量、ボリュームからいうと日本は分権国家です。国は50兆しか使わないのに地方は90兆から100兆使っていますから、ボリュームからいえば日本は明らかに分権型国家です。

 ところが補助金の15兆は中央から事細かに机一つ、椅子一つから基準が決まっているくらい自由にならないお金です。地方交付税は一応、一般財源といわれていますが実は配分基準が事細かに決まっています。実質はこの補助金と変わらないといわれています。

 このことから日本は、ボリューム的には圧倒的に地方の方がサービス提供、仕事をしている国家です。しかしこういった国から地方に渡る移転財源を通じて、意思決定や具体的施策は殆ど中央によってコントロールされているというのが実態です。

 もっといえば補助金は、道路を作ると3割や4割の国庫補助が入りますが、これが北海道や沖縄では補助率はもっと上がりますがどちらにしても国庫補助は半分しか入りません。例えば100億の事業をしようとしたときに国から50億の補助金をもらう。例えば50億の補助金をもらったら、あとの50億は自己負担になります。

 この自己負担も地方税や交付税という一般財源から出さないといけないのですが、そうなると35兆の地方税が本当に地方にニーズに合わせて自由に使えているのかといいますとそうではなくて、補助事業の裏負担といわれているもの、自己負担を埋めるために当てられている。

 地方が縛られずに自由に仕事ができる財源はゼロに近いというのが、現在の日本の地方自治体の実像といっていいと思います。これは制度的にも、限られたお金も裏負担で、実質は国の基準に従って使わざるを得ないという大変な縛りの中にいるからです。

 

イギリスの自治制度

 イギリスの自治制度は、非常に日本からすると特異なところがたくさんあります。イギリスという国は瓢箪大小がくっついている形をしています。いわゆる英国といわれる地域が5つから成っています。英国の1つがイングランドです。いまだにサッカーではイングランドとスコットランドが分かれていると思います。

 英国で一番北に位置するのがスコットランドです。西がウェールズ、ここに北アイルランドという紛争地域も入ります。これもアイルランドの一部です。以上の4つの地域を合わせて英国といっています。この全体の人口が日本の半分6000万人、自治体の数はイングランドで300自治体、アイルランド、スコットランド、ウェールズを合わせても400自治体にいかない程度です。

 そうすると日本と比較しますと、1800自治体になる前の3000自治体で比較していただきたいのですが、イギリスでは日本の人口の半分で自治体の数は10分の1です。ということは、1自治体あたりの規模は日本の20倍です。

 1億2600万人の3000自治体で計算しますと日本は平均1自治体で人口が4万人といわれています。イギリスでは、1自治体あたり20万人です。自治体の規模がイギリスは相当大きく再編されています。

 アイルランド、スコットランド、ウェールズというのは昔イングランドが征服していた地域です。500〜600年前に征服したのがウェールズ、300年前に征服したのがスコットランド、歴史の浅い深いはやや違いますが、いずれにしても圧倒的な力を持っていたイングランド、6000万人のうち5000万人がイングランド人です。いまだにイングランド人はスコットランド、ウェールズの人達を外人と呼んでいます。

 トニー・ブレア政権、労働党政権になって大きく分権を進めていきましたが、ブレア政権の後半2001年、スコットランドにはスコットランド議会を作りました。ウェールズにも議会を作りました。それまではありませんでした。

 例えばスコットランド議会も、ウェールズ議会も、自分達の地域に法律が作れる事ができます。それぞれの議会で議院内閣制をとっています。なんとスコットランドでは所得税の税率までこのスコットランド議会が前後3%上下3%の間で自由に設定することができます。というぐらい相当な分権が進んでいるのがスコットランドです。

 それはなぜかといいますと、イングランドが征服した時期は、ウェールズは500年前、スコットランドは300年前という事でスコットランドはイングランドとの一体はまだ弱いのです。

 ウェールズはイングランドとの一体化がスコットランドと比較して進んでいます。ウェールズに対して立法権は認めるが税率の変更は認めない、スコットランドは立法権に加えて税率変更権まで認めている。それだけ独立性が強いのです。

 この地方自治制度が社会国家の成り立ってきた歴史的経過を追って作られてきたというのが日本にはないことです。例えば日本であれば400年前に琉球王国を征服した歴史があります。見事に日本では東京都から沖縄の南大東島数百人の島まで完全に同一の自治制度を敷いているというのが今の日本の状況です。

 しかしイギリスという国は歴史的経過に添って自治権を分けています。イングランドにおける都市部のロンドンやバーミンガムといった大都市には県がありません。一層制の自治制度を敷きました。

 田舎にいくと県があって市町村があるといった日本と同じに二層制を敷いています。非常に多様で柔軟な自治制度をイギリスはとっています。ここから先の日本を考えたとき、画一的な制度をしくよりも、むしろ地域にあった、例えば島一国のような制度でもいいと思いますし、そういう制度を作るにあたってイギリスの制度は大変参考になると思います。

 

イギリスの議会制度と公務員制度

 1つ御紹介したいのは地方議員に方々は基本的にボランティアです。これは議論のあるところです。イギリスの議会は基本的に夜開くのが通例です。議員の方々は他にも仕事を持っておられて仕事が終わって議会に来るという事になっています。年間の報酬も議会の出席手当てを含めても日本円で100万円程度です。

 伝統的に、血を流して民主主義の仕組みや価値観を作ってきた国にですから、その中で生まれてきた伝統的な価値観の中に政治家、議員は地域のエリート層でありジェントルマン、ボランタリー精神を持った富裕層、責任ある富裕層という伝統的な考え方がありますが、日本のような職業政治家ではなく、地域の名士がボランティアでやっている意識が高いところです。

 もう一つ特徴的なのは、日本は、自治体は二元代表制・大統領制、国政は議院内閣制がしかれていますが、イギリスでは中央も地方も議院内閣制です。

 これは大変な影響力を及ぼしていると思いますが、イギリスでは自治体議員の選挙も小選挙区で戦って多数を制した方が議会を制す。議会が執行権を持つといった日本と比較すると対照的な様子になっています。

 もう一つ紹介したいのは、日本では自治体や中央官庁でも一旦そこには入れば一生そこの公務員として勤め上げるという事になっていますが、イギリスの公務員は全ての一般職の公務員が公募制になっています。

 トップの部局長クラスから末端職員に至るまで公募となっています。公募の際は新聞に求人広告が載ります。例えば徳島県の総合部長募集とか徳島市の企画部長募集といった形で新聞に掲載されます。そうしますとそれを見た香川県の商工部長が今度は徳島で企画部長をやってみたいという事で応募していく。これは一部の管理職だけではなくて末端の職員までができます。

 日本と英国との間には大きな差がありまして、公務員雇用体系は特別法体系の中の極めて守られた世界になっていますが、イギリスではたまたま公職についているか、たまたま民間にいるかということで雇用体系に差異があります。

 こういう中から職員は「私は会計ができます」、「私は都市計画のプロです」、「私は財政運営のプロです」という専門職化が非常に進んでいます。それを全体で経営者としてマネジメントするのが議会の政治家であるという構図がイギリスでは、はっきりしています。

 

日本とイギリスの公務員における雇用文化の差異

 これを背景にご紹介したいのですが、サッチャー政権が今の小泉さんと同じ自由主義改革を進めたのが70年代後半から90年代前半にかけてでした。18年保守党政権が続きましたが1997年に18年ぶりに保守党から政権を奪い返したのが労働党のトニー・ブレアでした。

 彼は若干43歳、18年ぶりに地滑り的な総選挙での勝利といわれていますが、イギリスの議会は600議席です。400議席が労働党で200議席が保守党というのが97年の状況ですがブレア政権ができて、もちろんサッチャーの方針を前面方針転換したわけではないのですが、軌道修正をしながら進めていくのですがその間、象徴的な出来事がありました。

 サッチャー政権が自由主義改革を進める中で、当時あったロンドン都庁と呼ばれる組織がありました。日本には東京23区ありますが、これに相当する33区といった大変規模の小さな自治体があります。

 その各区を束ねているのが日本でいえば東京都庁、イギリスでいえばロンドン都庁ですが保守党サッチャー政権から見ると、当時のロンドン都庁は労働党支配でした。自治体は議院内閣制ですから議会で多数派を形成したものが自治体を支配しています。全く中央の政治構造と同じことが起きています。

 サッチャーはこれが気に入らなかったのです。自分が保守党政権で自由主義改革を進める中でお膝元のロンドンが労働党に支配されている。79年に政権に就いたサッチャーは86年になってロンドン都庁を廃止すると言い切りました。

 これを日本で言い換えますと小泉純一郎が石原慎太郎は気に入らないから「東京都庁を廃止する」と言いきったに等しい出来事です。当時ロンドン都庁には2万人が職員として務めていました。廃止されたロンドン都庁の職員はどうなったか。うち1万人は、都庁の旧役制度などが各区へ移管されましたから、その仕事を引き継ぐ為に各区へ自ら公募で応募し1万人は吸収されました。残り1万人は本当に郷里に帰った人もいるでしょう。自分で民間へ下っていった人もいると思います。

 私はここでロンドン都庁を廃止したことがいいとか悪いとかいう事ではなくて、結果的にブレア政権になってロンドン都庁は復活しています。サッチャーが廃止したときのロンドンのリーダーが、今ロンドン市長として返り咲いています。

 ところが当時、2万人いたロンドン都庁は、再スタートした時点で250人、現在でも600人です。本当に必要なロンドンの広域環境と広域交通問題に特化した形でロンドン都庁は生まれ変わっています。

 私はここで申したいのは、サッチャーの邪まな動機でひょっとしたらロンドン都庁を廃したのかもしません。ブレアは自分の見方が必要だという意味で再度作り直したのかもしれません。しかし長い目で見ると、かつて2万人いた、その中には無駄もしがらみもあったかもしれませんが、ロンドン都庁が250人のロンドン都庁に生まれ変わった。

 機能を限定して職員も厳選されて生まれ変わった。ここに私は政治の意思決定が社会の仕組みにもたらすインパクトの大きさ、ダイナミズム、社会から柔軟に姿と形を変えていく。社会の統治構造が変わっていくそのダイナミズムを感じました。

 問題は何故それができたかということですが、勿論サッチャーの意思決定の強さ、強情さ、頑固さがあったと思います。しかし時の政府がやろうとする事、自治体がやろうとする事が実現される大前提は、それを受け止める側、国民や市民であり、行政機関の再編であればそこで勤めている人、その人達にそれを少なくとも受け入れる受任性といいますか、受容性がなくては絶対にできません。

 では何故彼らはそれが受け入れられたのか。やはりイギリスでは公務員という存在そのものが、一生涯身分を保証する制度として存在しないからだと思います。

 公務員というのは、たまたまその時に公職についている方を公務員と呼ぶだけであり、もちろん社会が自由に変遷していけばその人は職がなくなるかもしれませんし、職を探さないといけないという大前提が雇用文化にあるからです。

 それを支えていくような雇用法制の格差がイギリスでは存在しないからです。結局、日本ではそれができないから中央では、自分が所属している中央官庁、その組織に対する忠誠心が働きます。

 組織に対する無条件の忠誠心は幾多の天下り団体を生んで、官製談合を自分達の営みにして税金を蝕んで、政府や自治体、政治家、公務員の信頼を失墜させて、だからこそ必要な税金や保険料のお願いもできない。そのつけが全部、借金として先送りとなっているといった全てが悪循環を生んでいます。

 私はやはり政治や議員、公務員、公の経営体の資質を考えたときに、日本のような閉鎖的な公務員制度ではなくて、やはりイギリスのような開かれた制度を考えていくべきだと思いますし、例えば国会議員、地方議員、あるいは地方公務員も含めて携わっている方々にはこの400年、500年かけて作ってきたイギリスの文化や背景にある価値観を是非参考にしていただけたらと思います。

 それでは規定の30分となりましたので後はフリーに議論していきたいと思います。ありがとうございました。

 

フリートーク

司会(乙井):ではここからはフリートークと致しますのでご自由におっしゃって頂けたらと思いますがいかがでしょうか。久次米さんは今のお話を聞いてどのように思われましたか。

久次米氏:イギリスは日本と比べて政治というものを、国民も含めて理解していると思います。社会変化が常にできていることは非常に素晴らしいと思います。また、日本では「そんな事をまだ議論してないのか」という課題が非常に多いと思います。これは私達の所まで情報が公開されていないだけかもしれません。しかしイギリスはその点政治を理解していますから情報公開をできていて、民主主義のレベルが高いと思います。その反面、日本は民主主義のレベルが低いのかも分かりません。

小川淳也:日本は民主主義をあまり理解していないと思います。もしかしたら政治家も理解していないかも分かりません。特に有権者の方が、「選挙であなたに入れてやったぞ」という感覚です。本当は国民の為に、あるいは自分達のために投票したということが本来の投票する有権者の意識にならないといけないと思います。有権者の中にもいますがごく少数です。

 選挙に立候補する我々にも相当な自覚も要りますし、選ぶ有権者に当事者感覚の欠如があります。当事者感覚を持ってもらうような働きかけが必要になると思います。「結局はあなた方の問題だ」と勇気を持って選挙に立つ側も言わないといけないと感じています。

 

仙谷由人:先程のサッチャーのロンドン都庁をぶち壊したという話ですが、公共サービスそのものの担い手はどうなったのですか

 

小川淳也:基本的には各33区におりたといわれています。

 

仙谷由人:先程の話はロンドン都庁や、ロンドン市長のやっていた事を基礎的自治体、住民に近い所におろしたという事です。イギリスではシティマネージャー制度(:市会議員のなかから首長を選び、その者に行政を行わせる制度)はどうなっていますか。

 

小川淳也:シティマネージャー制度は最近できました。

 

佐藤邦夫:私が皆さんにご紹介しました田島さんの「自治体が地方政府になる」という本があります。

 

 今、小川先生がおっしゃった部分と相当重なると思います。

 地方分権一括法が2000年にできてこれが進化しますと、地方政府になっていくと思います。地方分権一括法によって、まだまだ不十分ですが、地方が考える自治体ができる。今でも首長にやる気があれば殆どの事が出来てしまいます。

 そうなりますと議会にも責任が発生します。議会にかかる案件が殆どでてくるという流れになると思います。

 早稲田大学大学院の教授である北川正恭先生は「今までの制度から立つ位置を変えて新しく見ようじゃないか」と「立つ位置が変わると違う方向が見える」とおっしゃっていました。今、地方では二元代表制、国の方は議院内閣制という2つの制度がありますがこれで本当にいいのか。

 現在議員個々の流れが、国会議員がいて、都道府県議会議員がいて、市町村議会議員がいるという流れになっていますが、これは間違っていると思います。むしろ地方議員が、国会議員に対して「こういう地方にしたいからこういう制度にしてくれ」という逆の流れになることが非常に重要な大きな流れだと思います。

 さらにマニフェストで、有権者に選択してもらって「選んだあなた方も悪いのですよ」という新たな民主主義が生まれる。そこに、マニフェスト運動の骨があると思います。ここは流れの変わり目ですので、地方分権をさらに進めていただき、本当の自治を確立して日本の誇りのある国になればいいと思います。

 

榊氏:現在の政治は、政治家が行っている政治ではありません。官僚が行っている政治だと思います。ここが一番根本的な問題だと思います。さらに最後まで抵抗している官僚支配を壊す為に、議会も変わらなければならないと思います。ここがまさに日本の民主主義の未成熟さが表れているのではないでしょうか。

 

小川淳也:民主主義ができていないことと官僚制度が生きている事が同義だと思います。私も官僚支配にいたのですが、政治家を信頼していませんでした。国民が信頼していない政治家を官僚が信頼する事は無理です。やはり国民が信頼できる政治家を選ぶ事しかないと思います。

 

仙谷由人:ガバナンス(:政府)というと中央政府、内閣総体、行政府だと考えられ、それ以外は政府だと思われていません。しかし今、民主党の中でも議論があるのですが「社会保障政府」を考えてみてはどうか。つまり社会保障だけを扱う政府を横に取り出して、社会保障政府を作ってしまうということは考えられるのか、考えられないのかという議論があります。制度としてこんな事ができるのだろうかと皆さん思われると思います。

 すでに今回の医療法改正、健康保険法の改正で、社会保障政府のようなものが始まりそうになってきました。老人保健制度が老人保健法の中にありましたが、現行では70歳以上です。政府は2年後からは75歳以上の高齢者医療制度を、市町村の広域連合で作るといってきました。

 今までの制度の中でよく似た制度は、一部事務組合(:複数の普通地方公共団体や特別区が、行政サービスの一部を共同で行うことを目的として設置する組織)というのが市町村にあります。徳島でも廃棄物処理ごみ処理だけの一部事務組合があります。これは政治学的に考えれば、ごみ処理政府がそこに成立していると考える方が政治学的、行政学的に考えると分かりやすいし、適しやすいと思います。

 一部事務組合も、本来ならば代表者を住民から選び、議会的なものをつくって決めていく。広域行政組合もあります。ということは立派な議会を持ち、さらにそこに範囲とサービスを受ける住民の負担を決めていくとなると立派な政府になるということです。

 これからは社会保障問題、医療、介護といったものは地方レベルでどの範囲であれば、一番効率的でさらに良いサービスができるかという事から色んな組み方ができてくると思います。その方がむしろ住民にとって、つまり補完性の原理といいますが、身近な問題を解決するにはそういう事が考えなければならない時代になってきたと思います。

 もっといえば機能別政府、テーマ別政府が生まれる必要がある。例えばゴミ政府、社会保障政府、あるいは公共事業の好きな人は事業別政府とか、交通体系政府といったものです。また物理的、地理的範囲と、そこでのサービスを受ける人々の人員構成や範囲、効率性が違ってきます。日本の場合のように医療や介護を保険で行おうとすれば、付保の範囲、対象は違います。この付保、保険とはリスクの分散の事です。

 介護や保険の規模が大きければ大きいほど、保険の安定性はリスクが分散されますから多くなりますが、サービス内容について目が届きにくいというのが本質です。

 だから保険者の範囲、被保険者の範囲をどうするのかということは、機能的に違うのかと思いますが、保険でやる場合、あるいはそこに税を投入する場合は、やはり機能的、テーマ別で考えていく必要ができてきたと思います。

 そうなりますと中央政府で一元的に仕切ってできるというのは非常に大雑把な形で、中央による一元的なやり方ができたのは高度経済成長、高成長の中で余禄がジャボジャボ政府にお金が入ってくるという限られた現象だったのではないかと思います。

 戦後60年というのはそういう幸運の中で色んな制度を当たり前と思ってきましたがどうもそうではないのではないか、改めて色んな所で決めるところが責任を持って決めない限り何事も変わって動いていかないという機能別政府にしても、地方政府にしても、いずれにせよ決めるところは代表者が集まって決めるということであれば議会という事になります。そうなりますともう一度、議会という所に議論が帰ってくるという感じを持ちながら小川さんのお話を聞いていました。

小川淳也:政治に関わろうとする人間は、今ある制度の中で考えていくことは必要ですが、それそのものの枠を取り外してしっかりと向き合っていかないといけないと思います。そこで価値観を組み立てたり、市民の方に説明したりする事が必要だと思います。この中で地方議員を目指される方は一緒に苦悶をしていただきたいと思います。

 政治や政治家は、苦悶と向き合って出てくる言葉を、有権者と通じ合い、分かり合えたりする部分が増えると思いますし「何の為に政治家になるのか」「何の為に政治と関わっていくのか」という苦闘をお願いしたいですし、私も一緒に苦闘をしていきたいと思います。

 

仙谷由人:一般政府という言葉があります。政府というと連想ゲームのように出てくるのは、政府=行政府、霞ヶ関であると皆さん考えていると思います。しかし実は、一般政府というと、内閣、その下の行政府、司法、議会を全部含めて一般政府といいます。つまりガバメント総体が一般政府です。

 今まで日本は内閣、行政府の下に地方公共団体があります。だから今まで地方政府と呼ばないで地方公共団体とあるという観念、思い込みを刷り込んできたといっても間違いはないと思います。

 政府はガバナンス総体の話ですが、実は思いこませてきたのは、議会への不服というか非統治、統治されているとか、支配されている、あるいは従わされているという事が当たり前だという話であったのではないかという気がします。

 我々が払っている税金は、本来は身の周りのことは地方政府で決めるべきだ、アメリカの場合の地方政府は州(:state)が地方政府だと思いますが、裁判所や検察庁も持っています。

 地方分権、地方政府が司法権を持つかどうかはちょっと別問題だとして考えていいのではないか。これは一元的に、あるいは国家的制度の下、全国統一でやったほうがいいのではないかというのがこの議論の落ち着き方です。日本の道州制議論や地方分権議論を司法の問題だけは、四国州だけの司法権や裁判所を持つというところまでいっていませんし、私もそれが正しいのではないかと思います。

 いずれにしても議会、我々の代表が選ばれる議会で何をするのかというのが地方政府、中央政府ともに最大の問題になっているということが小川淳也さんのお話でもいえるのではないかと思います。

 

玉木氏:香川県から参りました玉木雄一郎です。今、小川さんのお話を聞かせていただいたのですが、地方自治を考えてみますと最後に行き着くところはお金の問題です。権限をどう組み換えていくかといっても、回りの様子をどうするかというときにどうしても稼いだ能力に圧倒的に偏在していて、調整機能や保障機能に行き着きます。

 しかし自分達でやるといっても「東京にお金がいっぱいあるからもらえないかな」となり、結局自分のお金で自分の事をやりきれれば自信がありますし、やりきれるのですが、やはり「ちょっと頂戴」という世界がでてきます。そうしますと連邦制みたいな独立した国が集まってきているのであればいいのですが、日本国という一つの括りの中で皆さん暮らす中で、それでも自分は一人で生きていくということをどこまでやれるのか、やれないのか。富が偏在している所の調整をどれだけうまく出来るのかが課題だと思います。イギリスではお金は取れるのですか。

 

小川淳也:先程、日本の自治体の総予算額は国家よりだいぶ大きく、その殆どが国のコントロール体制であると申し上げたのですが、イギリスの場合、自治体予算は国家予算の10分の1です。

 その代わり自分で完結しています。ですから身近な幼児教育から始まって、地域のゴミ処理といった身近な仕事だけを固定資産税という単一の税金でまかなっているというのが、イギリスの自治体の姿です。

 公共工事から大きな仕事は国家の直轄です。量的にいうと圧倒的に日本と比較すると政府とは呼べません。しかし自分達でやる事は完結しています。質的に言えば圧倒的に日本よりは分権です。つまり、量的には圧倒的に日本より集権です。これがイギリスです。

 

玉木氏:今の交付税制度だと頑張れば頑張るほど交付税をくれなくなって、だらだらしてギャップがあればあるほどもらえるという貰った者勝ちのような制度になっていると思います。地方は下手に行革をするともらえなくなるというのが本質的にあってなかなか頑張ろうとしても萎えてしまうという状況があると思います。

 

佐藤邦夫:皆さん、矢祭町をご存知でしょうか。福島県矢祭町の町長である大和さんという方が合併出直し選挙で話題になっていますが、ここは人口7000人くらいの町で、山間の辺鄙な所です。

 交付税は地方自治体の固有の財源ということは法律で決められていますから、一定の交付税は財源として当てにしています。ただ、身の丈にあった自治をやりましょうという事、議員は10名です。また図書費は全国から寄付を頂きましょうといった図書費ゼロとか、役場は役場の職員の家になります。

 例えば私が住民票を取りたいと思ったときに、乙井さんが役場の職員であれば乙井さんの家に頼んで出してもらうという事になっています。また、消防団は役場の職員がやっています。

 本当に財政難のもとでもやれる自治を目指そうということで、地域住民一体となってやっていますから、私は意志さえあればできるのではないかと思います。議会も自ら議員定数を減らして夜間に行うとかという事が必要だと思います。

 

仙谷由人:玉木さんが先程、問題提起されたことは次のステージに移る議論です。佐藤さんにも岩手の江刺という農村地帯で多分高齢化もだいぶ進んでいると思いますのでご意見や実感をお伺いしておきたいのですが、玉木さんが言ったのは税財源の偏在という言葉に置きかえられる話だと思います。税収が自治体、地方政府に任せれば違ってくるのかと思います。

 今の日本は人口減少社会とりわけ高齢化社会にどんどん突入しています。去年、一昨年から明らかになってきたことは「65歳以上、無職」が物凄く増えて、ここの貯蓄率はマイナス31%になっている。

 つまり年金以外で収入を得ていない人が増えてきています。国民健康保険の方から見ると、国民健康保険の被保険者、加入者が半分以上無職者になっているという、ある意味では惨憺たる状況が経済力の格差になって、当然の事ながらここでの経済活動が若い人が多い生産年齢人口が多い所と比べると、圧倒的に落ちるのは当たり前ですから、消費税一つとっても違ってきます。

 当然収入がない人が多くなると住民税を払いません。所得税も払わなくてもいいということになりますから、当然の事ながら、高齢化が進んでいる市町村ほど税収が少ないということになります。

 基準財政需要という言葉があります。「こういうことを自治体がしなさいよ」ということを、国が全て決めているという事が大問題です。

 地方交付税というのは財源を保障する機能と、そして豊かな所と貧しい所の財源を平均化するように総務省が非常に複雑な計算式で調整をしてなんでも平均化します。

 自治体は頑張って税収を上げれば上げるほど調整されて、交付税が少なくなる、つまり阿南市では最近、日亜化学が好調で税金を納めていますから阿南市では交付税をもらっていないということになっています。

 頑張れば頑張るほど交付税が入ってこないという馬鹿馬鹿しい仕組みが、今の交付税による基準財政需要、財源保障機能の両方になって行われています。しかしそんな事でいいとは思いません。つまり一生懸命やってもモチベーションが無くなってくるということも事実です。また、地方の財政格差という問題が絶えず出てきます。

 中央と地方の格差、それは人口構成から職業構成にしても、徳島県にいても働く所がありません。徳島市ならまだ食いつなげることができるでしょうが、山間部に行っては何の働く所もないという話と連動している問題です。これを美しき連帯の精神でカバーできるのでしょうか。年齢的な問題や、お年寄りをどうカバーするか、今の現役世代の皆さんが大変な税金を払ってカバーをしている実態があります。例えば、東京23区に集中した好景気で上がってきた税収を、全国に多少振りまくかということもやっています。

 先般の三位一体改革の結果、住民税の大増税となり、市役所や村町役場に抗議がおじいちゃんやおばあちゃんを中心に殺到しています。今までの住民税の1人あたりの人頭割が4000円です。

 年間4000円の住民税を払っていたお年寄り達は、5%の所得税が住民税に振り返られた三位一体改革で大体8倍、年間で3万1000円の住民税がかかります。大変だと大騒ぎになっていますが、私は大変悩ましい事だと思います。

 急激過ぎるとか、全く説明がないとか、あるいは政治の側が説得をできていないという意味では由々しい問題だと思います。

 さらには日本の政治における大欠陥がここに起こっていると思います。負担の問題として皆さん方の感覚からすれば、私や、高井さんや、小川さんは住民税を年間で350万くらい払っています。一方で4000円だったのが3万円になりました。これを月に直せば2500円です。

 住民税というのはもう少し考えますと応益課税といわれます。身の周りのサービスのことですが、それをみんなで負担していく。あるいは負担収入というのが住民税とするならば、4000円が3万円になったから若い人達が300万や250万払っていても、2500円払うのはけしからんというのは、果たして連帯精神のもとに持続可能なのかという問題提起をすると「いやそれは困ったものだな」という話になりかねないのです。

 つまり今まで説明なしできた問題がここに来て噴出してきています。分権は進めば進めるほど、今まで放っていた問題が明らかになるし、今まで知らないうちに天から降ってきたお金がなくなりますから、説明が必要になり、さらに部分的には負担が増えてくる所も出てきます。

 そうだとしますと、今までの補助金システムで知らないうちに偉い先生方が中央からお金をとって分けてくれたほうがいいということになりかねません。そこで佐藤さんの方から奥州市の感覚としてこの種の問題をどのように捉えていますか。

 

佐藤邦夫:これは本当に難しい問題です。私個人で答えられる問題ではないのですが、一つ参考になる話をしたいと思います。昨日、江刺市の話をしました江刺は10地区に分けられて農業地帯です。私は住む地区が一番発展しています。ここも農業地帯です。

 この10地区の中で私の住む地区の農家は補助金頼みの経営はしていません。よその地区は完全に補助金頼りです。こういった補助金頼りの地区は発展していませんし、衰退する一方です。今、公共経営という言葉が出てきていますが、これは首長を中心に、議員も経営の立場で自治体を運営します。

 その場合には歳入の事も考えなくてはいけません。歳入の場合、私達の地域は農家ですから農家の収入、税金も勿論ですが、多面的な機能を果たした農村、地域、環境、水を含めてこういったものをアピールしていくという事を考えています。

 これは本当に難しい問題で、この問題を地方議員がここまで議論できる人はいませんし、私もできませんので私も教えていただきたいと思います。

 

仙谷由人:地方が連帯、あるいは年寄りが連帯をむしろ主張することが全体像を主張することができるかという問題はどのように思いますか。

 

佐藤邦夫:お年寄りは農家の場合は現役ですから、我々政治に携わるものとしては、何とか死ぬまで元気で働いてもらいたいという意味で、産直の話をしましたが産直の種類を決めるのが70歳以上の女性の方で、本当に元気です。

 いわゆる農業で産直というものが一人ひとりのおばあちゃんたちが経営者になっています。経営者という事は非常に頭を使います。そういった意味で年寄りに消費でなく生産に回っていくような後押しをしなくてはいけないと思います。

 

仙谷由人:これは絶対的な答えはありません。今、久次米さん、高井美穂さんもいますので大問題を提起します。

 豊島(香川県)があります。この廃棄物処理において10年間で500億かかっています。これは、国と県で半分、半分負担しています。これは多くの税金が、要するに国税の所得税、消費税、法人税が半分入っていく、さらには県の税金も入っていくという事ですが、何故そのような事が正当化されるのですか。

 

小川淳也:屁理屈としては国家的な産廃政策だと思います。

 

仙谷由人:国家の間違いがあったからそれは認めたくはないけれども、お詫びのしるしに国税を半分持って行ってくださいと、香川県も大失敗したから県民の皆さん方が選んだ人が悪かったのだからそのペナルティでその金を出さなければいけないという話になるのですか。

 高井さんがいる美馬市で堤防の内側に家庭系一般廃棄物、処理したものを埋めてしまいました。これをまた中間処理して運び出さないといけません。これは200億です。

 今度は、徳島市の最も高級住宅地と呼ばれるしらさぎ台という住宅団地がありますが、その真横の谷を廃棄物で埋めたものがいまして、これを県が看過した事で100億か200億かかかってしまいます。

 このようなことが起きていて、これを簡単に今、国税と県の税収で半々で処理すると。現実的にはそうせざるを得ないと思うのですが、どういう正当化の屁理屈を考え出すかというのはなかなか難しいと思います。住民は「国も協力しているのだから、県が重い腰をあげたから仕方がない」と思っていると思います。このようなことはまともに考えたら怒らないほうが不思議だと思います。

 100億のお金があるのであれば医療か介護に回せという発想からいえば、この間の滋賀県知事選挙でいえば正しいと思います。140億の新幹線の駅を作るのであれば、医療や教育に回したほうがいいと思います。これは大変悩ましい話だと思います。こういう立派な話でも、事後処理でも、このようなことが頻々と出てくるという時代になってきたということだと思います。

 負担について説明をする義務が政治家にあるのか、あるいは住民の方々もなぜこのようになったのかということから始めて、どのような負担でそのように元に戻す作業をしていくのか。要するに公共サービスとしてありうるのか、ありえないのかという事が大変な問題だと思います。 

司会(乙井):佐藤さんお帰りになるお時間が参りました。最後に佐藤さんから一言お願いします。

 

佐藤邦夫:岩手県から呼んでいただきまして本当にありがとうございました。政治を目指す、あるいは政治に身をおくものとしてやはり将来の子供たち、未来に向かった、いわゆる良い地域づくり、良い日本作りが使命だと思いますので個々に考えはあると思いますが、自分の信念や情熱に向かってやっていただければと思います。

 私も岩手の方で頑張りますので、またお会いする機会があろうと思いますが、皆さん東北に来たときは仙台の七夕から青森のねぶた祭りがありますので、どうぞ足をお運び頂きたいと思います。本当にありがとうございました。

 

司会(乙井):それでは引き続きお話を続けていただきたいと思います。高井さんいかがでしょうか。

 

高井美穂:豊島の話は国が過ちを認めたらいいと思います。香川県と住民との裁判に国は入るなといいました。菅直人代表代行が豊島に入った際に、住民と県との問題だから国は介入するなといわれたそうです。

 産廃は国が半分負担して、一般廃棄物は自治事務だから香川県が認めた以上、国も助けようという発想だと思います。地方分権はまさにお金の問題だと思います。地方議会の議員や政治家が、お金がないということを一人ひとりが考え、連帯して、持っていない人は持っている人と連携して助け合っていく社会が必要だと思います。

 一番初めの話に戻りますが、何故政治家は馬鹿にされているのかと考えてみました。日本は民主主義の国であり民度も高いと思います。しかし何故、投票率が低くて民主主義国家ではないといわれるのか。それは住民に対して議会が何をやっているのか。その事に住民の皆さんが関心を持ち始めて文句を言い始めたからこそこういう事態になったと思います。

 官僚が政治を動かしているという話しもありましたが、私が政治家になって感じたのはやはり官僚ではなく政治家が政治を動かしています。

 失われた10年を経てこれからどのように助け合っていくかどのように金を使っていくのかということを政治の場で語り始まれば信頼回復できると思います。

 

植松氏:香川県の参議院選挙区で活動をしています植松です。選挙を通じて県民の方と関わっていますと、今まで政治に関わっている人ほど非常に色んなものを求めてきます。逆に今までの古い政治に関わっていない方ほど素直に応援してくれます。

 地方分権や地方にできることは地方にという話をされていましたが、地方政治に関わる人ほどクリーンで真面目でボランティア精神がある人でないといけない、近所の人々に求められる所に位置していると感じました。政治家の歳費の半分が冠婚葬祭に使われているという話を聞きました。このような古い政治を断ち切ることが必要だと感じました。

 

玉木氏:香川県衆議院選挙第2区で活動をしています玉木です。今日は本当に勉強になりました。地方分権という流れの中で、やはり国家財政や地方の財政が大変厳しい状況であるという中で補助金を引っ張ってくる事が政治家の仕事の一つの役割でしたが、大なり小なり無くなってくると思います。

 ではそういう時代に政治家はどのような価値を共有できる存在にあるのかということが問われると思います。財源の配分にあずかる有力な議員ネットを剥ぎ取った後の政治家の役割とは何か。

 それでも立候補をして何かを実現しようとしても何を実現させるのかというところがこれから問われると思います。地方分権が進むと色んな権限が地方に移る中で、まさに国会議員というものは財源の配分を預かる量を減らしていくという事が地方分権の本質だと思います。そういう中で国会議員は何をするのか、どういう価値を提供できるのか、そういうガチンコの政治家の実力が試される時代がようやく来たと思います。

 これからの政治家の持つべき能力はコミュニケーション能力だと思います。どういう意見があるかを汲み取り、分かりやすくまとめて解説して選択できるまで処理するという判断ができるまで情報を加工する事が地方においても国においても政治家の大きな役割になると思います。

 やはり徹底した説明責任を果たせる政治家を作っていかなければなりません。作れない地域は不幸になると思います。私も説明能力や問題発掘能力、提案能力を鍛えていきたいと思います。

 

久次米氏:地方分権一括法が施行されて、国の役割と地方の役割を分担する時代になりましたが、まだ補助金を持った中央によって実現できていません。そこは国会議員の皆さんが国民に見える形で自由闊達に議論をしていただいて地方の役割を決めることが先決だと思います。

 国の役割は外交や司法といった部分に範囲を限定して、後の残りの部分は地方にやらせるとしていただければそこから地方議会のあり方などが議論できると思います。中央から地方に権限を移すことが私の一番の願いです。

 

青木氏:地方分権といいますが地方に本当に任せて大丈夫なのかという気がしています。現在の地方議会、地方公務員の質の問題、マネジメント力をつけなければお手上げになる可能性があると思います。公務員の体質から言うと本当に市民と対話ができるのか、あるいは市民と行政との協働が果たしてできるのかということを感じます。

 さらに市民の意識改革ができない限り、古い政治家を断ち切れないのではないかと思います。先程の話で公務員の話がありましたが、現在の公務員制度を国からぶち壊さないと地方公務員の意識も変わらないのではないかと思います。

 

泉氏:国会議員と地方議員は権能や権限も全く違います。地方議員の場合、議員にパワーがあるのではなくて議会議員という合議体に力があればと思います。

 それぞれの議員活動だけではなくて、議会としてのまとまりに力を注がなければいけないと思います。そうしない限り、これからパワーアップしていく首長と対峙できないと思います。

 地方議会と首長との関係をこれからどのようにやっていけばよいのかと思っています。今、鳴門市で市営バスの問題があります。首長の考えと議会の考えが全く違います。このまま審議会を作りそこの答申のもとで決めてしまうというやり方ですが、我々はそうではないと考えています。それに対し対案を出していきたいと思いますが、昨日の佐藤さんのお話でもありましたように、条例を作っていき、戦略的に条例を使っていきたいと考えています。

 

小川淳也:首長と議会との関係は、今の選挙制度を引きずっていれば非常に首長とは戦いにくいと思います。さらに議会は首長に擦り寄っていないと仕事ができないですからオール与党化していきます。

 市長選挙や知事選挙で対立軸ができない構造的要因があります。やはり地方議会の選挙制度を変えていく。価値観や政策軸を対立させるために、小選挙区で戦わせるような議会制度が必要だと思います。

 さらに政治家である以上、今度は仲間を集めて議会であれば過半数を取りに行かなければ行けません。主張してきたことを条例として形に残す事が必要だと思います。そこに対する増殖本能を失えば議員であって政治家ではないと思います。政治家は世の中を形作っていく媒体です。

 最終的には議会の選挙制度と結びつくと思うのでそこまで掘り下げて考えていかなければいけないと思います。世の中は依存と不信の連鎖だと思います。そこから自律と信頼の社会にしていかなくてはいけません。一言でいうと政治家が仕事をしなくてはいけない時代になったと思います。

 これとの対比で言えば、これまでの政治家は仕事をしなくてもよかった時代だと思います。ここを支えていたのは、高度経済成長だと思います。人口増加と経済成長があればどんどんパイは大きくなりますから、そこからいかに自分の地元へパイを分配していくかという事ができた政治家が最も有能な政治家のはずです。

 ところがこれから人口が減り、経済成長は見込まれません。これまで甘い飴を配ってきた時代から口に苦い薬を口に入れてもらうことをお願いして回る時代になりました。政治家は利権屋、政治屋から国家や地域の経営者として付加価値を生み出して信頼の連鎖を作っていけるその中核になれるかどうか。

 政治史上大きな転換点、節目にいるという意識が必要ですし、それに耐えられる人しか残っていけないと思います。それでは最後に塾長にマイクをお渡しします。

 

仙谷由人:小川淳也さんの素晴らしい総括がありました。2つだけあえて申し上げます。1つは、議員と地方議会、あるいは国会、議会の問題は政治そのものの問題です。

 官僚による政治が行われて、官僚の無責任に行われてしまったという事ですが、議会の役割とは何か、その構成する議員のレベルや議員の持つ能力は何かという事ですが、結局行き着くところは議会の中で多数派形成をする事だと思います。多数派形成の営みが狭義の意味での政治だと思います。政治工作といってもいいかも分かりません。

 ここで一番大事なのは自分が議員であり、能力があり、議会内での情報を伝え、自分に賛同させるコミュニケーション能力が必要となると思います。

 条例を戦術的に使う事はまことにその通りで、首長権力に対抗するには条例で括ってしまうしかないと思います。そこで多数派形成ができればあるテーマについてできれば首長はそうせざるを得ないと思いますし、予算も変えざるをえないと思います。

 全て総与党化するような選挙制度の問題や住民意識の問題がありますが、そこは見果てぬ夢であっても多数派形成をしていくことがなければ議員としてやめたほうがいいと思います。

 2つ目は、コミュニケーション能力の問題ですが、ローカルマニフェストを作ろうという話と関係すると思いますが、北海道の恵庭市の市長選挙に出た中島さんが作ったマニフェストがあります。この中島さんが作ったマニフェストを持って選挙に出ると一発で勝ちました。


http://www.waseda.jp/prj-manifesto/nakajimamanifesto.pdf(約10MB)

 私はこのマニフェスト全体の持っているコミュニケーション能力はすごい事だと思いました。それから二段部分になっている文章ですが、1つの政策を2通りの書き方をしました。これを見てみますと、ビジュアルなコミュニケーションの部分があります。

 先程、泉さんがおっしゃられた市バスの話を、鳴門でこのまま適用できるかは分かりませんが、公共交通をバスかタクシーにする事ができるのであれば、こういうマニフェストやコミュニケーションをして条例を作ることがいいのかもわかりません。

 私はこのマニフェストを見て痛く反省をしました。現場から政策へ普遍化することへの努力不足や、コミュニケーションの表現能力をどのように身につけるのかという問題が政治家にとっての課題であると感じました。

 こういうイメージのマニフェストを次の統一地方選挙で掲げて戦えればいいと思いました。まだ統一地方選挙まで半年ありますので皆さんと共同作業したいなと思っています。どうもありがとうございました。

 

司会(乙井):この恵庭市のマニフェストを補足させていただきますと、ここは自衛隊の駐屯地がある地域で市民の3分の1が自衛隊の御家族という、放っておけば自民党の現職の候補者が通る地域です。

 この中島さんは選挙の運動員が奥さんとお子さんで自分を含めて3人で、2週間で全戸にこのマニフェストを配布しました。それとみかん箱の上で演説するだけでダントツで選挙に勝ったということです。本日は長い時間どうもありがとうございました。

                  

以上